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幸せ恐怖症、うまいくことが怖い

生きづらさ

幸せになりたいのに、幸せの感覚がわからない。いつも不機嫌や不満ばかりで生きているとその状態が当たり前になってしまいます。もちろん、楽しい出来事や嬉しい出来事がないわけではありませんが素直に喜べなかったり、また自ら幸せを壊してしまうなど、なぜか最後は苦しくてつらい状態に落ち着きます。幸せな自分になることが怖い、受け入れることができない幸せ恐怖症なんですね。

私は幼少の頃とても神経質で、あまり安心を得ることができない親子関係を築いてしまいました。母も大しておおらかな人ではなかったのに、私にはもっとおおらかになりなさいが口癖でした。それがとても嫌でいつも否定されているように感じていました。

そしてその否定は、自分で自分をも否定してしまい、ますます自己無力感が育っていったのでした。自己効力感がまったく育たなかったのですね。

なので人生、事あるごとに、うまくいかない。

自分で自分の力を信じれず努力はできるけど結果を出すところまでいかない。結果を出せれて成果を手にしても叩き壊してしまうような。そしていつも同じところを行ったり来たり。上に上がれない。言い換えれば、いつまでもこの世界に居続けるような。理想の自分とはかけ離れているのでした。

なぜそうなってしまうのか?

うまくいくことが怖いのか、うまくいく自分に自信がないのか、うまくいったあとが怖いのか・・・。

うまくいってしまったらどうしていいのかわからない、いわゆるコンフォートゾーンから抜け出せずにいるのですね。慣れ親しんだこの感覚が、結局は楽なのです。いつも不満を口にして、うまくいかない現実に安心しているのかもしれません。(コンフォートゾーンとは生きていく上で快適にいられる領域のこと)

私の場合、このコンフォートゾーンから抜け出すための思考を考えてみました。

仕事の面で考えてみると、なぜかいつも同じところまで行くとまた振り出しに戻ってしまいます。たとえば職場を変わり、また一からやり始めるなど。何回同じところをウロウロしているんだと思えてきます。あと一歩で上に上がれるようなところで、自ら壊してしまうのですね・・・。もったいない人生です。もうこの「幸せ恐怖症」を克服したいですね。

うまくいったあと、どうしたらいいのかわからないから怖いのだとしたら・・・。

「それを人に還元する」ということを目標にしてみては、と思ったのです。

目標があるとそこに向かうことができ、また幸せになってもいい、幸せにならなければいけないという理由にもなりますし。今まで視野が狭く自分にばかり目がいっていたのかもしれません。

「この人といると元気になれる」「楽しくなれる」「気分が上がる」など、人の交流には少なからず人同士に影響が及びます。そういうプラスの自分でありたい。そう思うと、幸せになることを拒絶しなくてもいい。むしろもっと幸せになって他者への貢献となったら嬉しいとさえ思えてきます。そこに目を向けることで「幸せ恐怖症」から脱却できるのではないかと。これからは実践の日々を送っていこうと思っています。

著者プロフィール
Ariko

私がHSPだと気づいたのは40代の時で、とても腑に落ちました。幼少期から痛みや人の感情に敏感で、感受性がとても強い子でした。そしてとても心配性で不安型。加えて父が重度のアルコール依存症だったため、トラウマもかかえることに。現在、夫と娘の3人家族で結婚生活25年。反省と後悔も多々。思考の癖を変えて、楽しく素敵な人生にすると決めた日常を綴ったブログです。

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